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アドラー[嫌われる勇気]考察①「なぜ人は変われるなのか?」原因論と目的論の違い!

      2018/01/11

 

 

今さらですが少し前に一世を風靡した心理学者アドラーの「嫌われる勇気」を考察していきます。

アドラーの「嫌われる勇気」は、私は最初あまり興味がなかったのですが、世間が少し落ち着いてから読んでみたら、これが結構「心理を得ている」と感じました。

 

この記事がアドラー「嫌われる勇気」シリーズの第一回目です。

アドラーとは?というところは省いていますが、「嫌われる勇気」の内容を私の見解をもって考察していきたいと思います。

飽きたら途中で止めてしまうかもしれません(笑)

まず、アドラーの「嫌われる勇気」の本の前提として、アドラーの心理学(哲学)の思想を元にした「哲人」と称する先生と、悩み多き人生の幸せを否定するというか懐疑的な考えを持つ「青年」との対話を進めた形で、アドラーの考え方を持って青年の持つ思考・理解・否定などに対して教えを説く内容となっています。

そしてこのブログでの記事の考察は、あくまでも私の主観で書いていますので悪しからず。

 

アドラー「嫌われる勇気」「原因論」か「目的論」かで変われる人と変われない人に分かれる

まず初回は第一夜の「なぜ「人は変われる」なのか?」です。

哲人は「世界はとてもシンプルである」、「人は変わることが出来る」ということを例外ない大前提として認めています。

そんな中で青年は例外なく「人は変われる」ということに対して、「人はそう簡単には変われない!」という風に反論します。

青年の考え方としては、人は簡単に変われないからこそ、誰もが悩み苦しみ、そして変われることを説く新興宗教や怪しげな自己啓発セミナーに騙される人が後を絶たないのだということです。

これ正にごもっともですよね。

人は常に「変わりたい」「生まれ変わりたい」「もっと人生を良くしたい」「今のままの自分は嫌だ」という思いが強い人間が多いから、人は宗教などから救いを求めたり、自己啓発なセミナーや書籍だってたくさん世の中に溢れています。

占いやパワースポット、スピリチュアルグッズなどや、引き寄せの法則やらハッピーライフなどの類もたくさんあるし、それだけそれを求めている人もたくさんいるということです。

頑なに人は変われないと信じてやまない青年は、友人の引きこもりも例にとって説明します。

青年曰く、引きこもりの友人は、自分の部屋や外に出ようとすると、動悸(どうき)や手足の震えが始まり、外に出て変わろうとしても変わることが彼には出来ないと言い、詳しい原因は知らないものの、恐らく両親との関係や学校や職場でのイジメの原因などがあるかもしれないし、逆に甘やかされて育ったかもしれないなど、いずれにしても過去の出来事が原因で、今現在がどうしようもなくなっているというわけです。

これはつまり「今の結果」には「過去の原因」があるということです。

これがすなわち「原因論」です。

過去の出来事に原因を見出し、その原因によって今の結果が成り立っているということです。

しかしアドラー心理学に基づいて考えると、この哲人はそうではないと説いています。

哲人曰く、その青年の友人は、「不安だから外に出られない」のではなく、「外に出たくないから不安という感情を自ら作り出している」という結論に至るということです。

これがアドラー心理学で言う「目的論」ということです。

「不安だから外に出られない」というのが「原因論」ということであり、例えば過去のイジメや失敗などからトラウマを抱え、そういった過去の「原因」によって、今現在が外に出ることが出来ない、変わることが出来ないという考え方です。

アドラー心理学では、この「原因論」はまず否定し、そうではなく、「外に出たくない」という「目的」のために、青年の友人は過去のトラウマを引っ張り出して来て、そして外に出ない目的を自分自身で作り上げているという考え方なのです。

これは面白い考え方ですよね。

確かに青年や青年の友人などの立場からしたら「は?」「ちょっと何言ってるかわかりません」という感情になるかと思いますが(実際に本ではそうなっています)、これは何もその原因(過去の嫌な出来事などのトラウマなど)が嘘だとか幻想だとか言っているわけではなく、また実際に不安や恐怖に押しつぶされそうになる心境も偽物だと言っているわけではないのです。

要は考え方の違いであり、物事の捉え方の違いを説いているのです。

今までのように「原因論」に沿った考え方をしていたら、「人はいつまで経っても変われない」ということです。

これは確かに痛い所を突いていますよね。

人は「変わりたい」「今のままでは嫌だ」「今の自分を何とかしたい」という思いと共に、中々変わることが出来ない自分にも苛立ちや不満を募らせています。

そういった苛立ちや不満というものは、得てして「他者」に向けられる傾向がよくあります。

「自分が今こうなったのは両親のせいだ!」

「自分が今こんな程度なのは育った環境や待遇のせいだ!」

「自分の周りに居る人たちがもっと自分に良くしてくれたらもっと成長できたのに!」

「自分をイジメたり辱めたりしたあいつらのせいで自分は自信を持てなくなった!」

「自分がこんなに自信が持てないのは自分が弱くて情けないからだ」

ここで言う「他者」というのは、過去の自分も含まれていることに注目してください。

要は「今現在の自分」以外の物事に対して、一生懸命「原因」を作り上げてしまう癖があるということです。

アドラー心理学では、このような考え方・思考に囚われているうちは、まず「変わることが出来ない」と断言しており、このような「原因論」ではなく、「目的論」による考え方に切り替えることによって、今の自分が置かれている状況を、つまり「本当の目の前の真実」に目を向けることによって、そこから「自分を変える」ことへの第一歩とするという考え方なのだと思います。

 

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アドラー「嫌われる勇気」「トラウマは存在しない!」過去に縛られるのは縛られたい目的があるから?

さて、この「原因論」を否定し、「目的論」を正とする考え方を掘り下げると、アドラー心理学では「トラウマ」自体も存在しないと否定しています。

アドラー心理学ではトラウマは明確に完全否定しています。

これは語弊(ごへい:誤解を招く言い方)があるかもしれないので補足しますが、いくらアドラー心理学でも「トラウマを持って心に深い傷を負うなんてことはあり得ない!」と言っているわけではありません。

実際に子供の頃に親から虐待を受けていたり、学校で激しいイジメにあっていたり、身近な人の死や、犯罪に巻き込まれたりなどといった、過去の出来事によって心に深い傷を負うということは実際にあります。

そして、その深い傷を負ったがために、今現在の行動に支障をもたらしていることも現実的にあることも否定しているわけではないかと思います。

では、アドラーの「トラウマを否定する」とはどういうことかというと、これを先ほどの「目的論」に沿って考えればその片鱗を見ることが可能になってきます。

例えば、先ほどの青年の友人が、仮に両親の虐待やイジメなどの過去のトラウマによって、今現在外に出ることが出来ないとします。

この青年の友人が「なぜ外に出たくないのか?」を考えると、おそらく外に出ることによって、または引きこもっていることによって、このような考えを持っているかと推測できます。

  • 引きこもっていれば親から心配される
  • 引きこもっていれば可哀そうな自分を演じられる
  • 外に出たら社会に適合出来ないかもしれない
  • 外に出たら誰かにイジメられるかもしれない
  • 外に出たら惨めな気分になるかもしれない
  • 外に出たら嫌なことがたくさんあるかもしれない
  • 引きこもっていれば少なくとも傷つかない
  • 引きこもっていれば嫌なことから逃げられる

「目的論」で考えると、この青年の友人の「目的」は、正に上記の箇条書きに書いた内容が当てはまると考えられます。

友人は、この「目的」を成就したいがために、引きこもっているということです。

遠い先々の目的で言えば、実際は「外に出たい」「変わりたい」「独立したい」という目的があるかもしれませんが、少なくとも今現在の目の前の「目的」は上記の内容になってしまっているということです。

先ほど上で書いた「原因論」と「目的論」は考え方の違いと書きましたが、これは面白いことに「原因論」で考えても上記の箇条書きの内容がそのまま「原因」にも当てはまるのです。

正に考え方の違いです。

ただ、同じ内容であっても、それが原因(過去)として捉えるのか、はたまは目的(現在・未来)として捉えるのかによって、今後の自分の人生(変われるのか変われないのか)が問われるという風に説いているのです。

 

今日のまとめ

長くなってきたので今日はここまでとします。

今日の記事で言いたかったことは、今現在自分が変われないと思っている理由として、その変われないものの「原因」を主軸に置いて、過去(原因)にいつまでも囚われているうちは、いつまで経っても変われないということです。

そういう意味で、アドラー心理学では「原因論」や「トラウマ」を否定しているということです。

人が「変わりたい」と思うのであれば、その原因(過去)に囚われるのではなく、まずはそれらは原因ではなく本当は目的なんだということを認めなくてはならないと説いているのです。

自分は一生懸命に過去に原因を探して、その変われない理由の原因を探してばかりいるのです。

「自分は~~なことがあったから変われないのだ」

「自分は~~な可哀そうな人間だから引きこもってもしょうがないんだ」

という現在の自分に目を背け、一生懸命その原因作りに精を出しているということです。

しかしアドラー心理学では、「それは嘘だよ」「それは自分を誤魔化しているだけだよ」ということを言い、そうではなく「「自分がそうありたいから」「自分を正当化したいから」そうしているだけだよね?」と説き、「それは「原因」ではなくて本当は「目的」なんだよ」と言っているわけです。

なんとも耳をふさぎたくなるような内容ですが、それがきっと心理なんだということですね。

アドラー心理学の「嫌われる勇気」は、このように「自分を変える」「人生を変える」といったことを目的とした内容となっています。

<続く>

 

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